眠りは悪なのか
いっぽう、眠りはこころよい。
こころよいうえに、なにもしないのだから、たっぷり羽毛 フトンで眠るのはぜいたくだ、勤勉の敵だ、と考えられてもしかたない。
その快感ゆえに眠りをむさぼることは禁欲的な立場の人々からは、ぜいたくないしは悪徳とみなされ、きびしくいましめられた。
逆に眠気にさからってしごとをすると、努力しているという実感がつよい。
だから、能率はあまりあがらないにもかかわらず、刻苦勉励・孤軍奮闘の充実感・悲壮感・優越感が湧いてくる。
睡魔とたたかうことも、いわば自虐的な快楽の一種であろう。
これがさらに昇華すれば、求道的な修行にもなる。
ここまでくると、たんなる快楽とは次元のちがう話になってしまう。
悦楽というべきか。
仏教では、睡眠は悪魔の第五軍といわれるほど、「わるいもの」である。
睡魔とたたかうことが、禅僧のたいせつなつとめであることは、理解にかたくない。