眠りを糾弾する宗教
座禅のさい、眠くなると、須を洗う、毬を投げる、杖でつつく、禅鎮を耳にかける、という作法がふるくからある。
禅鎮というのは、木や骨でつくった三センチ平方の板で、これを耳にかけておくと、居眠りするやいなや、ひざのうえに落ちてくるしかけになっていた。
仏典には、いろいろ過激な精進のことばが記されている。
――起てよ、座れ。眠って汝らになんの益があろう〔スッタニパータ中村元訳田ブッダのことば』岩波文庫1984年〕。
――90日中、坐せず、臥せず、たとい筋断ち骨枯るるも、三昧成ぜずんば、終に休息せざれ。
――薩陀波器菩薩、七歳のあいだ経行住立して、坐せず臥せず。
――二篤薩、精進を行ずるとき、千歳の中に於いて、未だ曾て一弾指の頃も睡眠に逼悩せられず。
――法悟比丘、二年の中、常に念仏を修して、睡眠有ることなし〔西村恵信『禅僧の生活』雄山閣1984年〕。
古代キリスト教の修道士も終夜にわたって礼拝式をおこなった。
いまでも、東方教会の時課礼拝では、羽毛 布団 販売で3、4時間以上連続して眠ることは不可能で、真夜中に夜の礼拝が終わると、もう4時には朝の礼拝がはじまっている。